7月4日 午後4時00分  

 俺は家に着くとすぐに、汗でべっとりとした制服を脱
ぎ捨て私服に着替えた。いくらまだ過ごしやすい季節だ
からといって、この距離を歩いたら汗が出ないわけでも
ない。だが、このべっとりとした感覚から抜け出す開放
感は心地よいものがある。唯一のメリットかもしれない。

 おっと、こんなことにうつつを抜かしている場合では
ない。とっとと葵に会いにいかなければ。

 聞くことはいくつに増えるかわからないが、本筋は俺
が知らない「祭」のルール。だが、彼女は初日に俺から
ルールを聞いたが、それ以上のことを知っているのだろ
うか。こうなったら彼女の勤勉さの度合いに頼るしかな
いな。どこまで予習してここに来ているのか、試させて
もらおうじゃないか。今更な試験だが気にはしないだろ
う。今更なんていってもまだ三日だ。来たばかりの新入
りには違いない。

 葵の家はすぐ隣。今日俺が言った通り、ドアを開けれ
ばどこかで騒音でも立てていない限り、彼女には伝わる
だろう。だが、流石に自分のところに訪れるとまでは予
期できないだろう。と、思いきや。

「あれ?」

 葵の家の前に立ち、ドアノブに手を掛けようとした正
にその時ドアが突然動き出したのだ。思わず後ろに後ず
さったことで身の安全は確保できたが、ほっとした先の
視線には葵が目を丸くして立っていた。そして葵が普段
からは想像させないような声を出したというわけだ。

「もしかして……探してた?」

 決まりが悪そうな顔をして言った。

「あ、あぁ」

「ごめんね」

 明るく笑って言われたものの、そのきまずさはどうに
も拭えない。とっとと本題に入ってしまおう。

「それはいいんだ。お前に聞きたいことがあったんだ」

「それは……構わないけど、家に入ろうか?」

「あ……どうしようか」

 どうしようか。これは葵の答えによってかかる時間の
長さが変わってくる。ならば相手の都合に合わせたほう
が良いだろう。

「そうだ。どこか出かける予定だったんだろ? 歩きな
がらで良いさ」

「そう? それでもいいなら聞くよ」

 交渉もうまくいき話がすぐ済ませられそうだ。しかし、
実際のところ話を聞いた後も、俺はやるべきことがある
のだ。今日は疲れる一日になりそうだ。

 そんなことで葵と登下校以外で初めて歩くことになる。
いつもとは反対の道。つまり学校から遠ざかる方向に歩
いているのだが、それだけではどこに向かっているかは
分からない。何かあるとすれば神社だけだ。それも祭る
神もいない神社。

 ん? 待てよ。それは神社と呼ぶのかどうか。いや、
別の何かだろうな。まてまて、俺が知らないだけかもし
れない。俺は昔から、村の伝統や古い歴史には全く興味
がなかったのだ。故にその可能性もありえる。……葵だ
けには知られたくないな。

 なんて事を考えていると、

「ところで話って何かな?」

 そうだ。これが本題だった。忘れそうに、いや忘れて
いた。こんな大切なことを忘れるなんてどうかしてる。

「そ、そうだったな。そういえば、葵はここに来る前こ
の村のことを調べてたんだろ?」

「そうだよ」

 心なしか声量が上がった気がする。やはり自分に興味
のある事だと人は興奮するものらしい。

「それで教えて欲しいことがあるんだ」

「え? ここに住んでるのに?」

「ぐ……」

 痛いところを突かれた。それだけは言って欲しくなか
ったものだ。

「まぁそれは置いとけ」

「置いとくよ」

 いつも見せてくれている笑顔が妙に憎たらしく見える。
そんな事いっていても始まらない。聞きたいことだけ聞
いておこう。

「俺が知らないような『祭』のルールを知らないか?」

「『祭』のルール……」

 先程の表情から打って変わって、葵の顔が引き締まっ
た。彼女が見せるこの表情も、彼女の魅力を引き立たせ
るものとなっているだろう。

 だが、それは彼女の本質には届かない。この村の根底
に蠢くものに負けない狂気めいたそれこそが、彼女の本
質なのだと俺は思っている。ただ、確証など存在しない
が。

 彼女の表情は段々と緩んでいき、次第に何かを考える
ような顔つきへと変わっていった。今まで自分が培って
きた知識を思い出しているのだろう。ここはじっと待っ
ていよう。

「例えば……何を聞きたいの?」

 待とうと構えていた矢先、唐突に葵が切り出してきた。
だが、何といわれても困ったものだ。俺が「祭」のルー
ルを知りたいのは、本番の際の場所を決めるためだ。そ
うだな、なら、どういった経緯をたどって「祭」を行う
か聞いてみよう。

「じゃあ、どんな感じで『祭』をやってるか分かるか?」

「待って。最初から説明するから……」

 大分時間がかかるようだ。いや、そうみせかけてかも
しれない。ん……今のは俺の勘違いか。まぁいいか。

 しっかし、あまりこちらにはこないから妙に新鮮な気
分だ。代わり映えのない景色といった感じは無い。当た
り前か。やはり久しぶりに見るものはやはり感じるもの
が違うな。うん。改めて緑の良さというものを感じる。
不思議と癒される気分だ。

 この、段々と歩き進めていくと現れてくる、木々の隙
間からの木漏れ日がいいのだ。都会の方に住んでいるも
のにはこの光景がわかるまい。

 しかし……。なんというか。さっきから自分がやけに
年寄り臭いなと思えてきた。精神的に参ってるせいか?
 だから今まで求めなかった癒しなんてものを、この自
然の中から探しているのかもしれない。全く、嫌なもの
だ。

 いつの間にか登り道に差し掛かっていた。それはすな
わち先程言った、神社への道ということになる。

 途中に曲がり道などはあったのだが、それは登り坂に
差し掛かるまでの話で、こうなるともう直線の道だ。別
の道にそれることも出来ない。ていうか、そろそろ辛く
なってきた。まだ葵はうんうんと唸りながら考え込んで
いる。そんなに深いものなのだろうか? 面倒なことに
なりそうだな。

 ていうか、何で、こいつは、こんなにも、涼しい顔で、
この登り坂を、登ってるんだ。こんなにも体力がある奴
だったか? 結構、歩いて、きているはずなのに。流石
に悔しい。

「なあ。そんな多いのか?」

 疲れては来ていたものの、しびれを切らしたので頑張
って聞いてみる。

「えっ? うん、まぁ……」

 曖昧な返事だ。なんだというのだろう。

「話せそうか?」

「一応。聞く?」

 ようやく情報を得られそうだ。しかし、今までのこと
を踏まえてみると大分長くなりそうだな。覚悟しておく
べきか。

「あぁ頼むよ」

 木漏れ日はあれども、夕方に近づいてくる初夏の肌寒
さは、細身の俺には少し厳しかった。通常の寒さから来
る、全身を駆け巡る鳥肌は何故か今までのことを、やん
わりと思い起こさせてくれた。それはまるで、気味の悪
い予言のようなものでもあった。



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