下り坂を下り終えた時に、腕時計で知った時刻は既に
四時半だった。つまり葵に出会ってから、またここに帰
ってくるまでに三十分かかったということだ。短いのか
長いのかはよく分からない。
しかし葵からは大分有力な情報が聞けた。まず、「祭」
の実行者は、あの穂積神社から出発すること。そして実
行者は、誰が誰だかわからないように面をつけているこ
と。その面のせいからか、この村の裏の界隈では天狗な
どといった呼び方もされているらしい。だからこそなの
だろうか、そんなことは一度も聞いたことがなかった。
流石は桔梗村とでも言うべきなのだろうか。情報の機
密性は非常に高い。これでは、この村にいる俺にだって
独学では限界がある。なのにそれを葵はやってのけた。
何故か彼女は俺が知っている情報以外の、もっと細か
いものを知っていた。この村にはいなかったはずなのに
何故? 俺達が思っている程度に比べて、この村の外で
はそういった情報が蔓延しているのか? 確かめようも
ない。それに、今はそこまで関係ない事だ。
他にもいくつか使えるものがあった。これは俺の作戦
を大いに助けるものでもある。
いつかは忘れたらしいが。とある「祭」の日に対象者
とは別の人物が誤って死んでしまったらしいのだ。しか
もその時刻は「祭」が終了すると同時の時刻。
葵が言うには対象者を助けるために、身内が実行者に
襲い掛かったらしい。しかしそれもあえなく失敗。どう
しても助けたいと思ったその人物は、対象者の命が断た
れる直前、舌を噛み切って死んだらしいのだ。その顔は
まるで鬼のように怒りに満ちた形相でもあり、この世の
ものとは思えないほどの悲しみに満ちた顔をしていたと
いう。自分の身になって考えようとは、思わなかった。
それで対象者は助かったものの、しばらくして殺され
てしまったらしい。全く悲しい事実だ。そんなこともあ
ったとは。
それなのに今でも「祭」が止まらないのは何かしらの
仕組みが存在するのだろう。それは俺が生き延びたらす
ぐにでも見つけ出してやる。
だが、この事実によって「祭」の日はどうあろうと一
人しか死ねないという事に裏づけがついた。これで俺も
自信をもって行動できる。これは大きい。
大体ここまでの情報で何とかなるだろう。「祭」の日
は誰も出歩かないというのが暗黙の了解、いや、出歩け
ないのだ。だからこそ人目をはばからずに行動できると
いうのもある。これを利用しない手はない。
後は裏切り者を見つけるのみ。今は俺をうまく騙し切
っている様だが、最後には必ず見つけ出してやる。例え、
それが誰であろうとも。
結局穂積の方にも会わないで家に着きそうだ。妙な面
倒を被らなくても済んだな、と安心しきっていたら。
分かれた道に見える人影。まだ日は昇っているせいか、
はっきりとそれは見てとれた。穂積――彩音だ。
制服ではなく黒のワンピースを着た私服だ。やはり黒
一色か。どこまで黒好きな女なんだ。
さて、どうしようか。頼まれ事をこなしておこうか。
ここはそうしておこう。
彩音が神社で穂積さんにあったらそれで終わりだ。し
っかりやっておこう。
少し歩を早め彩音に近づく。そして声をかけ――、
「あら、結城」
俺が話しかけようとした直前で、不覚にも彩音に先に
口を開かせてしまった。その黒い長髪が風でそっと揺れ
る。それを手で払いのけて彼女は続けた。
「貴方も大変ね。色々と」
一瞬見えた彼女の微笑はすぐに消え去った。この雰囲
気はどことなく葵と同じものを感じるような気がするが、
似て非なるもの。全く違う。
何故なら彼女から漂うものは、葵からするような狂気
めいたものではなく、それらしくない艶めかしさが存在
するものだからだ。それに加えて存在している不思議な
知的さ。どちらも常人の出すものではない。少なくとも
この村には存在していないのだ。彼女以外に。
「まぁな。分かってるなら助けて欲しいくらいだな」
「それが出来ないことぐらい、分かってるでしょう?」
「ふん……」
やっぱりこいつは苦手だ。とっとと用件を伝えて帰ろ
う。ん? 待て。俺がまだ用件を伝えていないのに何で
こいつはここにいるんだ? ま、それは特に不自然なも
のではないから構わないのだけれど。
「そういえばお前に言伝だ」
「分かってるわ。父親でしょ?」
といって、彩音はひらりと白い紙を見せてくれた。そ
こには俺が彩音に伝えるべきことと同じことが書いてあ
った。なんだよ。先に自分で伝えてあったんじゃないか。
まぁ、それでも俺に頼んだということは、来るのが遅い
ため言伝が伝わってるのか不安になったのだろう。
「なんだ。そっちにもう伝わってたのかよ」
「骨折り損といったところかしら? でも帰る途中に出
会えたのだから良かったじゃない」
「そうだな……」
こいつと話してると普通の会話でも疲れてくる。とっ
とと帰ろう。
「用はそれだけだ。じゃあな」
彼女の横を通り過ぎようとする俺。すると。
「待って。私は貴方に伝えておきたい事があるのよ」
何なんだよこいつは。
「何だよ?」
「楓さん、貴方に話しがあるそうよ? 行ってあげたら?」
楓だと? それは重要なことかもしれない。時間は無
駄には出来ない。出来るだけ早く言って話を聞かなけれ
ば。電話では事足りないような事なのだろう。
「楓? 場所はどこだ」
「家じゃない? よくは分からないわ」
「分かった。ありがとう」
といって、その場を後にしょうとする。だが不意に思
い出した九条の存在。そういえば彩音と九条には俺より
も深い繋がりがあった筈だ。九条のことを聞いておこう。
「そういえば……九条から何か聞いてないか?」
しばし沈黙が流れる。それは何かあったことを示すも
のなのか、それとも――。
「いえ――、何も」
敢えてここでは追求しないでおこうと思った。いくら
苦手であっても、何も関係のない彩音を追い詰めるよう
なことはあまりしたくないし、今は時間もあまりないか
らだ。
「そうか、ありがとうな。じゃあな」
「ええ。さようなら」
別れの言葉を残し、俺は少し遠くはなれた楓の家へと
向かった。まだこの季節――、この時間、日は沈む気配
を見せてはいない。