7月1日 午前3時10分 

今日の授業も終わりようやく帰れることになった。妙に
今日は気疲れしていて早く家に帰って寝たかった。

予め予想はしていたが葵が一緒の帰宅を求めてきた。俺
がそれを承諾しようとすると葉月がそれを引きとめた。

「紅。今日は全部活のミーティングだから残ってくんな
いかな?」

嘘だ。恐らく今日で葵を「祭」の対象者に確定するのだ
ろう。だから俺はそれに都合のいいような会話をした。

「ゴメンね葵ちゃん。部活は後日また紹介するからさ。」

葉月は手を合わせて軽く謝罪をした。

「そうなの?わかった。じゃあね紅君、えっと・・・」

「あ、あたしは葉月。楓って呼んでもいいよ」

「そう?じゃあね楓さん」 

不思議にあっさりと帰っていった葵に違和感を感じた俺
だったが今はそれを気にしている時でもないと思い、先
陣を切って話をしている葉月の方に耳を傾けた。

「言われなくてもわかってると思うけど今日は部活なん
かじゃなくて『祭』についての話だから。」

生徒の数は少ないがちらほら返事が聞こえた。その声音
から読み取れるのは誰もがその行為に賛同していないと
いうことだ。しかし実際発せられている言葉の意味はそ
れとは真逆。誰もがそれを行い早く終わらせようとして
いる。

すると、葉月が皆と同じ声音で話し始めた。

「まぁこれは本来学校なんかでやるもんじゃないけど神
崎さんが来ちゃったからねぇ・・」

つまり、これは葵を犠牲にしてみんな助かろうという魂
胆の話だ。勿論、誰もがそれを望んでいないが誰もが一
番自分の死を望んでいない。

「一応聞いておくけど神埼葵が今回の対象者で構わない
ね?」

だからこそ異論はなかった。誰もが自分の死を恐れ葵を
スケープゴートとして村に差し出すのだ。皆が段々と口
を開き、互いに賛同を求め自分の正当化をしていく。恐
らくそれは人として自然な行為で、自分が助かるために
は何でもするという人の本質でもあるのだ。

なら人の本質に外れるものは一体何なんだ?字に書いて
まさしく外道か?人を救おうとするのが外道で人を犠牲
にするのが本質として正しいのか。

こんなことを考えさせるこの村はやっぱり狂ってる。そ
の教室で俺はただ一人笑みを浮かべていた。



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