7月2日 午後3時20分 其の壱 

 HRが終わると皆俺が言ったとおり帰らずに、教室に留
まっていた。教師はその異様な雰囲気に疑問を抱いてい
た様子だったが、事の核心に迫られなければどうという
ことはなかったので、特に何の処置も施さずにいた。そ
して教師も消え、この階から俺たち以外の人の気配がし
なくなったところで、俺は話を切り出した。

「皆よく残ってくれた。サンキュな。」

 どこから話せばいいだろうか。頭の中で必死に考えた。
ここでは俺の技量が問題となってくる。すると、そう考
えているところに信司が助け舟を出してくれた。

「皆今回の『祭』の事は知ってるな?」

 いきなり信司は事の確信から話を始めたかのように見
えたが、彼らの視点で見ればまだ何を言おうとしている
のかすら分からないだろう。そんなことよりも、彼らに
とっては『祭』のことを、神崎の目の前で話していると
いう事実の方が重要だろう。俺も昨日まではそうだった
が、今になってはそれは全く関係のないことのように思
える。

 ふと見てみれば、俺が思っていた通りに教室の人数は
少ないながらも、ざわつき始めていた。それは言葉にな
らない焦りでもあった。

「そして……誰が消える予定なのかも……。」

 信司は彼らにとっての核心へと踏み込み、話を続けた。
ここまで来れば止まることなどできもしない。勿論止ま
る気も無い。ここで彼らの内一人が何かの危機を察知し
たのか、信司を止めようとした。

「各務! お前何のつもりだよ!? 状況分かってんの
か!? わざわざこんなことするために残らせたのかよ
!?」

「待て! 話は最後まで聞け! もうお前たちが今心配
しているようなことでは、話が済まなくなって来ている
んだ!」

 一瞬彼はたじろぐ。それは信司の覇気からなのか、そ
れとも何が起こっているのか理解していないというサイ
ンなのか。どちらにしても事の説明をする余裕というも
のが発生した。そして各務が話を続けようとすると、葵
はそれを制し自分の口を開いた。それは自分への覚悟を
確かめるようでもあった。

「皆……悪いけどわたしが選ばれていたことも、昨日放
課後何をしていたかも全部知ってるの。」

 俺たち以外の四人が全員息を飲んだ。この雰囲気はま
るで今正に喉を鳴らした音が聞こえるようなものを漂わ
せていた。全員が全員、焦りが目に見えた。だが中には
もはや堪忍したように見えるものもいた。葵が全員の顔
色を確かめるとゆっくりと、諭すように話を続けた。

「でも、問題はそんなことじゃないの。もっと重要なこ
と。まだこの島に着てからすぐのわたしにはよく分から
ないけど、きっとわたし個人のことより重要なことなの。」

 問題はそれが何かだった。皆が様々な想像、憶測をし
ている。そして葵が俺の眼を見る。楓も、信司も同じだ
った。俺の眼を見て頷く。俺も頷いた。それは、合図だ
った。

「聞いてくれ……。皆どうして俺たちが葵に事実を教え、
そしてここでこんなことを言ったのか、分かるか?」

 皆がこちらに耳を傾ける。確認するのはそれだけで十
分だ。そして――。

「俺たちは……『祭』を止めたいんだ!」

 教室は先程とは違う異様な雰囲気に包まれた。恐らく、
内面では賛同し、表では裏切り者を軽蔑するという自分
の二つの体裁に、ジレンマを感じているものが多いから
だろう。つまり俺たちの課題は、その感情の内の一つを
消し去ってやり、皆を味方につけること。それが至上目
的。

 暫くは沈黙が続くと俺も、予め予想はしていた。しか
し、誰もが最初の一言を他人に任せようとしている。そ
のおかげで俺が思っていたよりも、この教室の沈黙は長
く続いていた。

 この押しつぶされてしまいそうな重圧、空気、雰囲気、
これに似たものを俺は昨日にも体験していた。しかし昨
日のそれと、今日のそれでは比べることなど出来ない。
複数と複数、一対一では掛かってくる重みが全く違うの
だ。だからこそこんなプレッシャーに屈する訳にはいか
ない。

「皆……俺が言いたいことは分かるはずだ。協力して欲
しい。俺たちには、助けが必要なんだ!」

 誰も口を開こうとはしなかった。俺でさえ二の句を告
ぐことを躊躇われた。もう、後は待つしかないのか……。

「……お。」

 一瞬声が聞こえる。そして、空気がはじけたように、
皆がそこに全てを向ける。当の本人は一瞬驚いたように
見えたが、おもむろに立ち上がり、口を開く。

「お前ら……本当にそんなことしようとしてるのか……?」

 それは、俺たちの覚悟を確かめるものなのか、俺たち
の正気を確かめるものなのかは定かではなかったが、答
えは初めから一つしかなかった。

「そうだ。俺たちは本気だ。こんな村潰してやるよ。」

 今まで大勢を相手にしていたから気にしていなかった
が、今対話したのは幼い頃から知り合っていた、九条徹
だった。第一印象はオドオドしていたような感じだった
が、段々としっかりとしている一面を見せ、俺も地味に
一目置いていた存在だった。それを知ってからか、こい
つは俺に無いものを持っている。そう思うようになった。

「だったら……俺は手伝うよ。何か出来ることがあるなら……。」

 やった……。俺は歓喜のあまり、叫びそうになってし
まったが、慌てて堪えて冷静さを保った。しかし、この
張り詰めた空気の中で、彼の発言は大いに力を持つもの
となるだろう。それがたとえ誰のものであろうとも。

 今のこの発言をきっかけに、二つの感情の境界線に立
っていたものが足を踏出すだろう。そしてこの教室は徐
々に、俺たちの方に傾いてくる。もうこうなれば時間の
問題だ。

「九条……!」

 俺は堪えていた感嘆の言葉を口にしていた。そして皆
も俺も、明らかにこの教室の何かが変わっていくことに
気がついた。そして皆が徐々に口を開いていく。

「じゃ、じゃあ……俺も……!」

「あたしも何か……!」

 そんな賛同の声が他の声と混じりながら聞こえてくる。
それが高まり収まる頃には、この教室を覆っていた何か
は、既に消え去っていた。代わりに、皆の固い結束が生
まれたのだ。

「皆……!」

 やはりか、やはりそうなのだ。誰かがきっかけを与え
れば、人間なんて簡単に動き出すのだ。だがそのきっか
けが難しい。誤れば誰も動かないのだ。しかし俺は誤ら
なかった。だから、今まで動き出さなかった人間が、こ
の村が、動き出そうとしている。そうだ、所詮こんなも
の。「祭」が消え去るのもそう遠くはない。いつの日ま
でか、そう思っていた。



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