7月2日 午後4時00分  

 今俺は今までに無いほど精神を休めている気がした。
そして、同じく今までに無いほどの緊張感を味わった気
がした。

「それも当たり前か……。」

 声に出して確かめてみる。こういった窮地に追い込ま
れれば独り言も不自然な感じにならないと思えるのが、
不思議に感じた。だが、他人はそうじゃない。一緒に帰
路についていたため隣にいた葵は、きょとんとした顔を
してこちらを見ていた。それに気づき、俺はその原因を
理解するのに少々手間取ったが、会話にするには不自然
にはならないくらいの時間しか、要していなかったよう
だ。葵は俺の弁解に笑顔で頷いていた。

「だいぶ疲れてるみたいだね。わかる。わかるよ。」

「まぁな……。ここまで来たからにはもう引けないと思
うと何か気が重い……。」

 いつの間にか、自分が思ったことをありのまま葵に話
している自分に、奇妙さを覚える。しかし何故そうなっ
たのかには、不思議と疑問を感じることは無かった。む
しろそうさせるのが、葵の特徴であるとも思えてしまっ
た。

 ふと、自分が何故ここまで葵を意識しているのかを思
い出す。

 まずその奇妙さ、言い換えるならばミステリアスとで
もいうべきか。正確には違う意味合いだが、問題はそん
なところではないだろう。

「でも、大分いい方向に傾いてはいると思うよ?」

 明るく黄色い声でそう言った。そう、この不自然なま
での朗らかさが、何か違和感を覚えさせるのだ。ただ単
に裏表がある人物とは違うものを感じる。 目を見る。よ
く心の汚さを表す度合いとして目が濁っているといった
表現をするが、それも感じさせなかった。 そこで考えて
しまう。どうすれば彼女の本性を見ることが出来るのか。
このたったの二日間で、俺が葵のことを思いだすたびに
それを考える時間は多かった。

「紅……君?」

 返事をしなかった俺に不自然さを感じたらしく、彼女
は反疑問系で尋ねてきた。慌てて俺が返事をすると、葵
は満足したように薄い笑みを浮かべた。

「何かお前って不思議だよなぁ……。」

 いつの間にか思ったことを口に出してしまっていた。
これにはやはり驚きは感じるものの、メカニズムを知っ
てしまっている俺としては、もはや奇妙さを覚えること
はなかった。

「聴きなれた言葉ね。」

 それは怒っているのか面白がっているのかよく分から
ないが、皮肉は明らかにこもっていた。そして、同じよ
うに顔は笑っていた。その笑顔はいつ見ても周りの代わ
り映えの無い景色に比べて、映えているような気がする。

 これは昨日知ったのだが、葵とは帰り道が最後まで一
緒だった。だから微妙に会話が続かないと、この道の長
さとしてはかなり辛いものがある。だからなのか、葵の
顔をのぞいてみると、少し気難しそうな顔をしていた。

 島の果てまで見えてきそうな、長い一本道は今までと
変わることなくただただそこに在った。そんな詩的なこ
とを思いながら、本当にほとんど無言で家に行き着いて
しまった。しかし、先程まで思っていたような無言の気
まずさというものは、そこには一切存在していなかった。

 俺は変わらぬ空気のまま彼女との一日を終えようとし
ていた。

 ぼそり。とつぶやいたような、そんな音が風を流れて
耳に伝わってきたような気がした。耳から嫌な鳥肌が広
がっていく。既に俺と葵は互いの家の玄関に手をかけら
れるほど近くまで、ドアの目の前に立っていたはず。つ
まり、俺と葵の距離は少なからず、意外とあったという
ことになる。

 それが返って俺の想像に裏付けをしてしまう。だが、
落ち着いて考えろ。だからどうした。恐らく俺はこの張
り詰めた状況と精神状態のせいで、変に敏感になって物
事をネガティブに捉えすぎているだけなのだ。気に病む
ことなどない。今日は家に入って精神を休めよう。明日
からが本番なのだ。許さない。

「許さない……。」

 それだけがはっきりと聞き取れた。何故かそれは、頭
の中でもこだまし、俺の耳から離れようとはしなかった。
今ここで俺に聞こえるような声を出せるのは葵しかいな
い。まだ家に入っていない葵に俺は聞いた。

「何か……言ったか……?」

「もし……」

 もし……。

「もし誰かが裏切ったら」

 裏切る……?

「許さないよね?」

 許さない。その通り。何でこんなことを俺に言ったの
かは分からない。現実を見ろといっているのか、あの決
断は危険すぎるとか、そんな警告を俺にしているつもり
なのか。理解は出来なかったが……、俺にとってその仮
定はあまりにも残酷過ぎじゃないか……?

「わたしは許さない」

 これが神埼葵なのか……。

 俺はその場に立ち竦んだまま家に入ることが出来なか
った。なぜなら、俺は彼女に掻き立てられた、今までに
感じたことのない好奇心を抑えるのに必死だったからだ。



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