家には親も誰もいない。その為抑えきれない感情を爆
発させるのは、至極容易なことであった。とはいっても、
別に獣の様に暴れたわけではない。しかし、ここにその
内容を記すのはやめておく。
俺はたった一人での夕食を食べ終え、広いとはあまり
感じないリビングの絨毯に、大の字に寝てみた。妙な開
放感が心地よい。一種の快感のようでもあった。
おっと下らない事をしている場合ではない、もう他人
の命をかけているのではない。もう本当に、自分自身の
命をかけているのだ。つまり今日、いや明日からの三日
間で裏切り者を見つけ出し始末する必要があるのだ。
だがそれは、今日まで最も信頼してきた三人の中にい
る。認めたくなかった。だが、否定するに足る確証が存
在しない。それ故、探そうともがくほど、彼等への疑心
を高めていく。そんな自分が嫌になった。
しかし、それでは始まらない。もはや弱音を吐ける状
況ではないのだ。こちらも心しなければ、相手の思うが
ままに俺は消されてしまうだろう。ならば、こちらも受
けて立たなければならない。
まず考えを整理してみよう。現時点での容疑者は葵、
楓、信司。それ以外に踏まえてみると、俺の事実はクラ
スの全員にしか教えていない。つまり、葵が言ったとお
り事は学校内で済んでいることになる。
しかし、それを今日までに誰かが崩した。許せない。
不意に、体中の血液を煮えたぎらせるような感情が、俺
を飲み込もうとする。必死で抑えようとするが、それに
反して体が熱くなっていくのがわかった。
どうやら最近怒りっぽくなっているらしい。落ち着け
落ち着け。
まず時間的に考えると、俺が最初に反抗を持ちかけた
のは、他でもない葵だ。そして、その一時間後くらいに
楓にそれが伝わった事が分かった。したがって、俺は実
際に楓が事を知ったのが何時頃のことかはわかっていな
い。しかし、これはあまり関係ないだろうな。
最後に、信司が俺の事を知ったことを、俺が知ったの
は昨日。つまり、楓と同じように実際信司が知ったのは
いつかは、明確には分からないということだ。
これらをまとめると、葵意外は俺から事を直接伝えら
れたのではなく、人づてに知ったということになる。し
かし、それだからといって、これが俺を陥れた理由には
ならない。何かが起きたという結果には、必ず理由や原
因が存在する。しかし、彼らにはどういった理由が存在
するというのだ? 何故俺を陥れる必要性があったのだ?
何がいけなかった? いくら自問自答したところで頭
の中に答えは現れなかった。
この際、動機などはすっ飛ばして考えてしまおう。目
の前にある事実だけを選り分けて考え直してみよう。動
機などはそいつと対峙した際にでも、問いただせばいい
だろう。
まず、葵。正直、動機を抜きにしたって、俺は、悲し
いかな、彼女を一番疑っている。彼女は「祭」に興味を
持ったからといっていたが、俺はそれが嘘のように思え
てならない。それは恐らく、彼女が発するこの場にはな
い雰囲気のせいか、何かだろう。
それに、葵だけは動機が存在するからだ。まぁ、これ
は抜きにしておこう。
そして、楓――、
ぷるるるるるる。
部屋に満ちた静寂を意図的に破るかのように、唐突に
機械的で無機質な音が部屋に響き渡った。こうして文字
にしてしまえば、間抜け極まりない音声なのだが、集中
して頭の中の日記帳を整理していた俺には、十分胸を突
き破らせかける効果はあった。
音の発信源の視界に入れ
ようと部屋を見回す。音声だけで分かったが、それは電
話の音だった。驚かせやがって……。いくら不愉快な表
情をしようと、愚痴をこぼそうと相手には伝わらない。
やり場のない感情を押さえ込み受話器をとる。
「もしもし? 結城ですけど……」
「あ、紅? あはは、転寝? 起こしちゃったかな?」
他の人が相手だったら、この言い方は効果適面だった
だろう。しかし、このように楓が相手だったら逆に、更
に俺を不愉快にさせる要因となるのだろう。
「お前なぁ……」
「ははっ、冗談冗談。そんなに怒んないでよ」
楓独特の軽い笑いを含んだ声が受話器から流れる。
「……んで、何だよ? 何か用があったんだろう?」
「ん、あぁそうだったね。で、……周りには誰もいない?」
楓の声は少しの沈黙を境に、厳しい声が聞こえてきた。
それと同時に、それを聞く俺の顔も引き締まる。
「あぁ。親父はいないぞ」
「そう……。じゃあ、いいね」
一昨日を思い出させる、一段と低い声。部屋はちょう
どいい温度、いやむしろ冷房を点けていないためか少し
汗ばむくらいだ。なのに、背中を指でつぅ――っと、な
ぞられたような、そんな悪寒がした。
「おう……」
「あれから、何か進展はあった?」
「……いや。まだ特には」
「そう……。こっちも頑張ってはみたんだけどね、どう
も……」
楓にしては歯切れの悪い言い方。何か発見はしたが、
いいにくいといった、そんな感じだ。
「何かわかったのか?」
「わかった、とまではいかないんだけどね……」
「何でもいい、情報が欲しいんだ」
「……あたしゃ、九条あたりが怪しいと思うんだ」
突然すぎる発言に、しばし沈黙が流れる。九条? 九
条だって? 俺の中の考えではむしろ楓の方が怪しいく
らいだ。無論、そんなことを直接本人にいえるわけがな
いが。
「九条? 何でだ?」
「だって、あんなにあっさりとあたし達を受け入れるな
んてどうかしてるよ。思い出してみなよ」
昨日のことを思い返す。声。あの空気の中ではあれだ
けの声が精一杯だろう。そして、展開。確かに、あっさ
りしているといえばそうだが、逆にそれに助けられたと
いうのもある。しかしそれが疑心にもつながってくる。
「まぁ、そうだが、疑うほどのものではないと思うぞ?」
「そう……? でも、あれでいてあいつ結構根性あるよ?」
「……。分かった。考えておく」
「うん。そのつもりでいて」
他人に言われてみると段々そう思えてしまうのが不思
議だ。確かに、今日のあいつの俺に対する反応も、奴が
犯人と考えるなら妥当のものだろう。それに、教室であ
の状況を作り出したのは、他ならない九条だ。
「それだけか?」
「あ、うん……」
「なら切るぞ、じゃあな」
受話器を置く――、直前。
「待って!」
既に耳から受話器は放しているが、静寂に包まれてい
る部屋だからか、彼女が叫んだからかは確かめようがな
いが、声が聞こえてきた。まだなんかあるのか、面倒だ
な。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「えっと……、紅」
「ん?」
「私を信じていて欲しい」
「……おう」
短く返事をして電話を切る。受話器が俺のみ耳から離
れ、電話に置かれるまでの間、何も聞こえてはこなかっ
た。
「畜生……!」
信じていて欲しい。楓はそういった。俺は、がっくり、
とその場に膝をつき苦悩する。どこから間違ったのだろ
う。どうして葵に、「祭」に、自ら関わったのだろう。
俺が今までのように、変わらずに、過ごしていたのなら。
誰も疑うことなどなかったのに。