7月3日 午後12時30分  

 結局一瞬感じた朝の雰囲気は、授業の間少しも感じず
昼休みになってしまった。 今日の昼飯は昨日とは違って、
信司が増えた四人でのものとなった。しかし、周りと同
じような、にぎやかな卓上ではなく、そこには暗く重い
ものがあった。

 黙々と食べるものを食べ続け、それが終わりに近づい
て来た頃信司が口を開いた。

「紅。いや皆に話しておかなければならないことがある」

 その卓上にいる全員の体が反応する。

「それって……?」

 葵が問う。口にしなくても本能や感覚で伝わってくる
危険を。何故、今までそれを直視し、立ち向かわなかっ
たのだろう。

「ここでは話せない…。上の階に行こう」

 さっきよりも声を抑えていった。そして周りの様子を
気にしながら席を立つ。不思議とぴりぴりとしたものを
感じた。

「一人ずつ来てくれ。全員揃ったら話す」

 俺の疑心は徐々に確信へと変わっていった。精神を締
め付けていきながらゆっくり、と、それは俺を蝕んでい
った。



 この学校に昼休みはそれほど多いわけでもなかったた
め、一人ずつ行くにしても間隔を大きく開けていくこと
は出来なかった。

 一番初めに葵が、次に楓、最後に俺が行った。そして
全員が揃ったことを確認すると、階段から離れて食事を
していたときよりも小声で話し始めた。

「俺達のことが漏れた……!」

 体に感じる空気の重みがとてつもなく重いものとなり、
俺を押しつぶそうとする。しかし、その重みは一瞬のも
のであり、何故かすぐにそれは収まってしまった。

「……やっぱり……」

 葵が漏らす。しかしそれは、昨日の忠告のことを言っ
たのか、それとも今日の異常な雰囲気のことを言ったの
かはわかりかねた。

 だが、突き詰めてしまえばどちらも言いたい事はほぼ
等しい意味を持つものであり、それによって訪れる気分
もまた、同じ様なものであった。

「ちょっと……それって…!」

 楓が焦りの気持ちを言葉に出す。そうだ、この状況は
俺が考えていた通りの最悪のパターン。つまりそれは俺
の死に直結する。

 全身を光のように鳥肌が駆けていく。あまりのものに
思わず体を震わせてしまう。そして一瞬のうちに、頭の
中でこれから起こりえる状況を組み立てていく。それは
自発的なものではなく、もはや本能が出す自衛的なもの
だ。ケースの形成は自動的に行われた。

「ま……まさか……!」

 声に出して問いてみる。でなければ俺自身治まらなか
った。この自身から湧いて出てくる、虫のように小さい
不安と、確定された死への恐怖が。それはほうっておけ
ば次第に大きくなり俺を押し潰していくだろう。だから
こそここで小さいうちに潰しておくべきなのだが――、

「……包み隠さず全部話す。今月の『祭』は葵さんでは
なく、紅。お前が、選びなおされてしまった」

 俺に突きつけられている現実は実に非情だった。それ
は感情を持たず、突然俺の目の前に現れる。

「そ……んな…っ! 何で………」

 信じてたのに。信じてたのに。俺が心のうちに溜めて
いた恐怖心や不安が段々とやり場のわからない憤りに変
わっていく。

「紅。落ち着け。まだ終わったわけじゃない」

 信司が俺の心内を察したのか、なだめてくる。それほ
どまでに俺は憤りを感じていたのか、とふと自覚する。

「悪い……。取り乱した……。でも……」

「今考えるべきはこれからどうするか、だと思うよ」

「……そうだな」

 葵が意外と落ち着いていることに驚きながらも、俺は
冷静さを取り戻す。だが良く考えてみれば葵が落ち着く
のも当たり前だった。なぜなら葵は対象者から外され、
代わりに村を裏切った俺が対象者にされて死を回避する
ことが出来たのだから。

 勿論ここで葵に憤りを向けるのはお門違いだろう。し
かし、俺から無尽蔵に生み出される今の怒りはどうして
も彼女にその矛先を向けてしまうのだ。憎い。自分が、
俺を代償に助かった葵が、村が、俺を裏切った誰かが。
とてつもなく憎い。

 そんな黒い感情が俺を支配していく。そして、もしそ
れが俺を埋め尽くしたら俺はどうするのだろう。そんな
疑問が頭に浮かんだ。

「まずやるべきことは紅を助けることだ」

 信司が言った。だが、今の俺にはそれはむしろわずら
わしく俺をイラつかせる要因でしかなかった。元々これ
は俺が最初に実行に移したのだ。それを後から入ってき
た信司に任せるわけにはいかない。

「信司……。もういい。お前の話は終わりだ」

「紅……」

 楓が不安そうな表情でこちらを伺った。しかしそんな
上辺だけのものには俺は何も感じなかった。やはりこん
なものだろう。

 葵が来て俺は何かしら自分が変わったと思っていた。
しかしそんなものはただの錯覚だった。現に俺は前と同
じように、無機質で、冷たい。そして黒い感情を内に秘
めているのだから。所詮こんなもの。そう簡単に変われ
る訳ないのだ。

「もし誰が俺を裏切ったのか分かったら伝えてくれ。俺
も最大限の努力はする」

「紅! 今更犯人探しなんてしてどうするのさ!?」

 楓は立ち去ろうとする俺を止めた。楓も立ち上がって
いる。妙な悲しい目つきでこちらをじっと見据えている。
だから俺は――、

「大丈夫だ。心配するな、もう後のことは全部考えてあ
る」

「え……?」

 楓が唖然とする。信司は声を出さずも驚き、葵は眉一
つ動かさず俺を見上げていた。

「今月さえ乗り切れればどうにでもなるはずだ。むしろ
生き残った俺を称えるかもしれないな」

 軽い冗談を含めて楓に告げる。先程までの刺々しい重
い空気も今ではなくなっている、ような気がする。

 だが俺自身は違う。

 限りなく黒いものがずっと全身を駆け巡り俺を支配し
ようとしている。しかし今ではむしろそれは俺を大いに
鼓舞させるものでもあった。

「紅が、そう言うなら……なんとかなるんだろうけどね」

 なんとかなるさ。そう言って外面に出した俺の笑みは
どんなものだったのだろう。いつもと変わらないような
普遍的なものか、はたまた悪魔のような黒い笑みか。彼
女らの反応を見る限り俺は内面を押さえ込むことが出来
たようだ。

「そうだな、お前がそこまで言うんだからには何か手が
あるんだろうな?」

「あぁ」

 勿論だとも。それなりに考えてある。最も手短で物事
を円滑に終わらせることの出来る手段が。だが、そこま
で俺は口に出さなかった。これはあまり人には知られた
くないものであり、もし知れ渡れば今回のものと同じく
問題となり得るからだ。俺はもはや、自然に誰も信じる
ことが出来なくなっていた。

 それでも構うものか。それは一時的なものであって延
々と俺を蝕むわけでもないだろう。事が済めばまたいつ
ものように生活できるはずだ。

「じゃあ、まずは犯人……って言い方は悪いから、その
人を探す方向でいいかな?」

 先程の暗さから立ち直ったような返事を残して俺たち
はその場を後にした。



入り口へ
4時間15分前へ
3時間後へ