7月4日 午後4時15分 其の弐 

 そろそろ初老のしゃがれた声が俺に返事をした。髪に
は少し白髪が混じっており、服装もそれなりの年を感じ
させる色合いのものを着ている。いつもと何も全く変わ
らない。

 だが、逆にそれが恐ろしい。目の前には「祭」の対象
者が立っているというのに。それもこちらの平静さにも
まったく動揺が見られない。危うくこちらが揺さぶられ
そうになる。

 流石、としか言いようがない。それなりの月日を「祭」
と共に過ごしただけの事はある。また、それ故に人の死
に慣れてしまっているのもあるのかもしれない。だから、
目の前の人物がこれから死ぬと分かっていても、全く感
情を動かさずに受け入れられるのだろう。

「掃除ですか? やっぱり神主さんは大変ですね」

 相変わらずか、この神社には神主以外の人は全くとい
っていいほどいない。掃除を手伝ってくれる人も、巫女
の役割の人物もいないのだ。だからこの神社の仕事は殆
ど穂積さん一人で行っている状態になっている。

「はっはっはっ。まだこの時期は楽な方だよ。やっぱり、
苦労するのは冬だね。老体に寒さは堪えるよ」

「ははは……」

 とりあえず笑いを返しておく。愛想は良くしておくの
が一番いい。もはや意味などないけれど。

 穂積さんの顔を見てみると視線が葵に注がれていた。
そうだった。葵は三日前に転校してきたばかり。葵が知
らないのだから、相手が知らないのも無理はない。後々
楽になるだろうから、ここで紹介しておこう。

「あぁ、こっちは三日前に転校してきた神崎です」

「えっ……」

 葵の背中を押して促した。学校では転校初日ながらも、
挨拶では凛とした態度を見せていたのに、いざ大人の前
でもじもじしているとそれはそれで可愛らしかった。い
つもからは想像もさせない葵を垣間見れた気がする。

「あ、あぁ。この子がねぇ。えぇと……神崎さんといっ
たかな? よろしく」

 しどろもどろになっている葵を見てか、穂積さんが助
け舟を出してくれた。

「あ、はい。よろしくお願いします」

 葵が浅くお辞儀をして、ひとまずこの場は収まった。

 俺も俺で葵から聴きたいことは聞けたのでそろそろ帰
ろうと思った。

「じゃ、俺はこれで。葵、さっきはありがとうな」

「あ、うん。じゃあ」

「もう帰るのかい? だったら一つ頼まれてくれないか?」

 なんだろう。とりあえず聞いておこうか。でもそうす
れば承諾するのは確実なものになってしまう。まぁいい
か。あまりにも面倒そうだったら断ろう。

「なんですか?」

「彩音を見かけたらで良いんだが、用があるから神社に
来てくれと伝えてくれないかい?」

 なんだ、その程度か。見かけたらで良いって所が曖昧
だが。

「分かりました。では」

「よろしく頼むよ」

「また今度ね」

 二人に別れを告げて俺は坂道を下り始める。登ってい
く時よりも、本来の速度を保とうとするためかこちらほ
うが疲れる。

 穂積彩音というのは俺達のクラスメイトだ。正直言っ
て楓や信司たちほど交流が深いというわけでもない。だ
から、ただ単に幼馴染の中のひとりということになる。

 特徴を挙げるとすれば、 彼女は葵とは違って長い髪を
持っている。色は驚くほど純粋な黒で、それ故にそこに
映える白い光沢が、彼女の持つ唯一のアクセサリともい
える。

 その髪の黒さからか、制服のベストも白を基調として
いる。因みに葵も楓も紺色を使用している。私服の姿は
あまり見かけたことがないが、一番最後に見たのは、夜
では見失いそうにさえなる真っ黒に染め上がった彼女だ
った、気がする。

 また、その見た目の通りおとなしさが目立つ。俺自身、
誰かと話しているところはあまり見かけた事がない。た
だ単に俺が気にしていないというのもあるかもしれない
が。

 いや。そういえば九条とは仲が良さ気だった気もする。
確認しなければ保証は出来ないが。

 まぁ、穂積彩音という人物はこんな感じか? 今まで
の記憶を思い返してみたがこれが限界だ。一番の特徴は、
髪がどうとかより村長の娘というところかもしれない。
葵の興味の対象になりそうだ。

「おっと」

 下り道から平らな道へ移る際につまずきかける。もう
下りきったのか。疲れるとはいっても、早いのは確から
しい。

 今日はこれからどうしようか。「祭」を行う場所を決
めるか? そうだな。そうしよう。葵からルールも聞い
たことだし。

 ようやくここで、葵にもう一回聞きなおさなければな
らなかったことを思い出す。

「何やってるんだ……」

 思わず一人で愚痴を言ってしまった。仕方ない。自慢
の記憶力に頼ってみよう。日はまだ煌々と照りつけてい
る。



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