7月4日 午後5時15分 

 嫌いたくはなかった。なりたくもなかった。だが、な
ってしまった。今まで全く変わることなかった感情は、
俺自身が動き出したことによって、簡単に変化していっ
た。

 7月まで変わることのなかった日常。崩すのは簡単な
ことだった。ただ、ルールを破ればいいだけ。至極簡単
で、誰にでも出来ること。

「楓。お前が俺を呼んだのはこれだけのためじゃないは
ずだ。他に、何か伝えなければならないことがあるんだ
ろ?」

「やっぱり分かる?」

「……隠していたのか?」

「そういう訳じゃないけど……」

 ふざけた笑いをして楓が訂正するように付け加えた。
その笑顔も、もう純粋な気持ちでは見れなくなってきて
いる。こう思うのもなんだが、辛かった。自分が自分で
無いような気がした。

 どうしてなのだろうか。たった些細なことじゃないか。
何故、黙って見過ごせなかった? 今からでも戻れるか?
 いや、無理だ。もう戻れない。この感情は動き出した
ら止まらない。

「まぁいい。で、何を聞かせたいんだ」

「そ、その前に一つ聞きたいんだけど」

 なんだ?

「何だよ?」

「紅は……その、裏切った人を見つけてどうするつもり
なの?」

 楓が質問してきた事は、俺の中で今最も触れて欲しく
はないものだった。だが楓は、この状況で、それを的確
に問い詰めてくる。

 思わず舌が動き出し舌打ちしそうになる。衝動的な行
動をたしなめるように姿勢を崩す。

「お前には関係ない」

「あるよ」

 これをきっかけに、不意に思い出す。三日前のこと。
楓が俺に初めて見せたあの態度。しっとりとした、その
態度。先程の態度からは微塵も感じさせない、それ。

「……お前、この前もそうだったよな?」

 聞いてみた。聞いてみたところで何も得るものなど無
いのに。意を決して彼女に聞いてみた。その、理由。

「何のこと?」

「いつものお前じゃないみたいだ」

「…………」

 答えなかった。俯き、俺に表情を見せまいとしている
かのようだ。あえて、俺もそれをのぞき見ようとは思わない。

「どうした……?」

 思ったよりも長く続く沈黙。耐えられないこともなか
った。しかし、それにつれて好奇心と苛立ちが募った。

 楓はぴくりとも動かなくなった。まるで死んだかのよ
うでもある。しかし、それは体でのことだけ。精神はし
っかりと働いているようだ。確証などないし、そんな気
がするだけの話だけれど。

 恐らく、彼女は何かを考えているのだろう。だからと
いって、その何かまでは、俺には分からない。分かりた
くもない。こいつの思考など。

 そろそろ退屈になってきた。そもそも時間の無駄だ。
こんなことで時間を過ごすためにここにわざわざ来たわ
けではない。

「おい。聞いてんのか?」

「ごめん……」

 思ったよりも早く返事が返ってきた。しかし、これ以
上問い詰めようとする気にもならなかった。これは情け
とかそういうものではなく、何か気分が悪いからだ。と
いうより、こいつと一緒にいること自体に、嫌悪感が湧
いてきた。

 昔のことを思い出したからか、うざったいのだ。こい
つの俺に対する好意による行為が。このまとわりついた
感じが嫌なのだ。

 さっきもそれを感じた。今はそこまででもないが、単
純に楓のじれったさにいらついている。

「ふぅ……」

 思わずため息が出てしまう。今更隠す気もなかった。

「あたしでも、よく分からないんだよ」

 俺の行動に呼応するかのように楓が口を開いた。それ
は、俺の質問に対する答えなのだろうか。今までの会話
を振り返る。

「何かさ、落ち着かないんだよ。ここいらずっと」

 それは俺とて同じ。理由にはなりえない気もする。だ
が、人と人は違う。恐らく楓なりの本音を言っているの
だろう。

「分かった。もういい」

「紅……!」

 そんなすがる様な目で俺を見るな。

「別に、見放した意味で言ったわけじゃない」

 だから今すぐにでもその目を止めて欲しかった。ねっ
とりとまとわりつく視線が俺を不快にさせる。気分が悪
い。

「……ありがとう」

 うれしそうに言った。さもうれしそうに。さっきのよ
うに。

「そのことはもういいから、とっとと話を済ませてくれ
よ」

 さっきから話が進んでいないことに気がついたので、
少し俺は焦っていた。これからしたいこともあるという
のに。

「だったら! 紅もあたしの質問に答えてよ……」

 少し強めの口調だったからか、体が思わず反応する。
そのおかげか誘発するように思い出す。そうだった。忘
れていた。さっきのいざこざのせいですっかり頭から抜
けていた。答えたくはなかった。だが、答えなければ話
が進まない気もしてきた。

「どうしてそんなにもそれにこだわる……?」

「紅が、もし、私が紅の立場になって思った事と同じ事
を考えているなら……」

 楓の考えている事? それは一体何なんだ? もしそ
れが、俺を基準として同じだというのならば、楓は――、

 その裏切り者を殺す気でいる。だったら、どうする…
…?

 いや違う、だから何だというのだ?

 何の関係もないじゃないか。このくらいで、うろたえ
るな。

「そうだってなら、なんだっていうんだ……!?」

 自らの動揺を隠すように、少し口調を強めて楓に言い
放った。しかし、言い放たれた彼女本人は全く気にも留
めていない様子だ。大して俺は強く言っていなかったら
しいだ。

「は、話してもいい。私が今日聞かせたかったこと」

 ようやく、今日の本題に移れそうだ。



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