7月4日 午後5時30分 其の壱 

 話してもいい、か。いつの間にか楓が上からものを言
っている。別にそれに怒りとか、屈辱といった劣等感を
覚えたわけではないが、ちょっとそれは道理に合わない
だろうと思ったのだ。だからそれだけは分かって欲しい。

「話してもいいってお前な……。俺にそれを聞かせるた
めにここに呼んだんじゃないのかよ?」

「別にあたしはここに来いとは言ってないよ。紅が勝手
にここまで来ただけで……」

 流石の俺もこれにはムッと来た。

「お前……人がわざわざ来てやったのを……!」

「あんたが勝手に来たんでしょーが! あたしはちゃん
と紅の家に行ったのに!」

「それならなんでちゃんと穂積にそう伝えておかないん
だよ!」

 言い終わった瞬間、違和感があった。それはいきなり
始まった口喧嘩のせいではない。ならなんだ? これで
はまるで、互いの話が食い違っているような、そんな感
じだ。

「穂積……って、彩音の事?」

 当たり前の事実を確認するように楓が聞いてきた。こ
れは、やはり。

「そ、そのほかに誰がいるってんだよ」

「嘘……、あたし彩音には何も頼んでないのに……!」

 何だって? やはり思ったとおりだった。これが違和
感の原因だったのだ。しかしおかしい。穂積に何も言っ
ていないというのなら、何故穂積は楓が伝えたい事を俺
に伝えられたのだろう。

 いや、まず楓が直接俺に伝えるつもりがなかったのな
ら、本来の仲介者がいるはずだ。楓はいったい誰に伝言
を頼んだのだ?

「じゃあ、お前は誰に頼んだんだよ?」

「し、信司だけど……? 会わなかったの?」

 否定の意思を伝えるために首を横に振った。それを見
て楓の表情も不安がるような、驚いたような微妙な表情
になる。

「そう。じゃあ、あんたは彩音の言葉を聞いてここに来
たの?」

「そうだ」

「彩音は何も聞いていないはずなのに?」

 そうだ。問題はそこだ。何故穂積は何も知らないはず
なのに、俺に楓の意思を伝える事が出来た? その不可
解な行動とあの雰囲気からか、穂積を何かに結び付けよ
うとしてしまう。

 そんな風にしか思考が働かない自分が嫌になる。穂積
がそうであるはずがないのだ。何の理由もないし何の接
点もない。だから在り得ない。首を振り思考を振り落と
す。

「ど、どうしたの紅?」

「あ、いや」

 突然の行動に心配したのか、楓がそんな風な声を掛け
てくる。疑心は未だ俺の脳裏から離れない。

「彩音はここに来いっていったの?」

 穂積との会話を思い出す。ついさっきの話だ。忘れて
はいたくない。


「楓さん、貴方に話しがあるそうよ? 行ってあげたら?」

「楓? 場所はどこだ」

「家じゃない? よくは分からないわ」

「分かった。ありがとう」


 思い出せば、どれも確信的ではない彼女の伝言。楓か
ら頼まれたというよりも、その会話を聞いていたかのよ
うだ。

「違う。穂積は、そこまでは聞いてなかったんだ」

「え? どういうこと?」

 簡単な事だ。

「お前が信司に伝言を伝えたときに、その会話をたまた
ま耳にしてたんだろう。それに、穂積がこれを伝えてき
たのは、俺も穂積に伝言を伝えたときだ。だからお礼代
わりに聞きかじった事を伝えておこうと思ったのかもし
れない」

「あぁ、そういう事ね」

 そうだ。簡単な事だった。別に大した事でもない。何
を俺は心配してたんだ。日常の些細な事がこんなにも俺
を苦しめるなんて。本当に嫌な状況にしてしまったもの
だ。

「じゃあ彩音にはこっちからちゃんと言っておくから」

「あぁ頼む」

 言った直後、疑問を感じる。楓は彩音に何を言ってお
くつもりなんだ? 別にそんな事はどうでもいいし、聞
き返す気もないのだが意識には留まった。そしてまただ、
と思った。些細な事に疑心的になる自分に嫌気がさした。

「じゃあ、話を戻すね」



入り口へ
15分前へ
其の弐へ